ウォルター少年と夏の休日

ウォルター少年と夏の休日

少し前に金曜ロードショウで見た映画。

物語のタイトルで~と~といった感じで書かれるとものすごく惹かれる。

~に~も同様。

無口で自分の意見を言えなかった少年が男気溢れる?お爺さんに

預けられることによって成長し、一緒に生活していく様をお爺さん達の若い頃の

話を交え語っていく。少年の成長の物語です。

外国映画の王道、最後には悪い大人との対決、主人公の自分の意思での独立。

自分の周りには年配の方はたくさんいるんですが、話に耳を傾ける事は皆無ですね。なかなか、映画のような老人はいらっしゃらない。

ひと夏で見違えるように成長したいものです。

そのことに関連して、僕が毎週興味深く拝見している番組があるのですが

少し前に最近の若者について、が討論の議題でした。

残念ながら、最近の若者をなっていない。舐めてる。

程度の議論にしかならなかったのですが、(若い人がいないために反対意見が出なかったため。)

どうも、若者文化を語るときに若者のみを取り出して、語ることに違和感を感じま

す。若者(20歳以下と定義する)は若者のみの独立したコミュニティーの中で

成長するのではなく、生れてすぐは両親、成長して学校での教育を受けて育ちます。学校で子供のみのコミュニティーであっても、話題はテレビでのバラエティー番組であり、ドラマであり若者のみで作り上げたものではありません。今の子はという表現自体が間違いなのでは?

なぜなら、その若者を今まで作り上げてきたのは両親であり、学校教育であり、テレビ番組なのですから。

今の若い世代のモラルを問題にするならその親の世代の教育のあり方を議論すべきであり、仕事をすぐ止める、今の子供は我慢が足りない。といった議論は何の意味もなさないものであると考えます。

つまり、今の若者はもちろん駄目な部分がたくさんあると思いますが、親世代の人は自分の胸に手をあてて、教育を考えろってことかな。

テレビ番組の低俗化は問題だとは思います、やらせの討論番組など、存在意義がわからんし、間違った歴史解釈を公然と放送している番組も以前見たことがあります。

抗議しなきゃね。

最近、心に残った言葉

「みなさんは、話合えばお互いが理解できると思っている。

それは、性善説の考え方だよ。」

他人を論破しても、ごめんなさい、間違ってましたと理解しあえる事なんてないんですよね。

悲しいけど、これが現実。