バグダッドのイラク高等法廷は5日、シーア派住民148人を殺害したとして人道に対する罪などに問われていた元大統領サダム・フセイン(69)に対し、求刑通り死刑判決を言い渡した。
人道に対する罪で元国家元首が断罪されるのは史上初。同国の刑事訴訟法では極刑判決の場合、自動的に上訴審が開かれる。死刑が確定すればフセインは絞首刑に処せられる。判決によると、フセインらは、1982年にドゥジャイル村で起きたフセイン暗殺未遂事件を受け村民148人に対する報復殺害を命じた。
2005年10月19日の初公判以来、1年余りでのスピード判決となった。
イラク戦争で03年にフセイン政権が崩壊するまで、30年余りにわたってイラクを支配してきた「独裁者の犯罪」に対する最初の判決となる。
(読売新聞)
イラク中部ドゥジャイルのイスラム教シーア派住民148人を殺害した「人道に対する罪」で死刑が確定していた同国元大統領サダム・フセイン(69)に対し、絞首刑による死刑が30日午前6時(日本時間同日正午)ごろ執行された。
同国国営テレビが伝えた。約30年にわたり同国を強権支配、2003年のイラク戦争で政権の座を追われた独裁者は、自国民の手で裁かれ、「罪人」として刑死した。
マリキ政権は処刑で求心力回復を期待するが、旧政権残党などの報復攻撃が激化、治安がさらに悪化する懸念もある。
フセインは、軍などのクーデターでバース党政権が誕生した翌年の1969年、最高意思決定機関「革命指導評議会」副議長に就任して実権を掌握し、79年に大統領に就任した。イラン・イラク戦争(80~88年)やクウェート侵攻(90年)を指揮。国内では、政敵や反体制勢力を力で徹底排除・弾圧する恐怖政治を敷いた。米軍主導のイラク戦争で03年4月に政権は崩壊、同年12月、出身地のティクリート郊外の潜伏先で米軍に拘束された。
検察当局は、82年にドゥジャイルで起きたフセイン暗殺未遂事件を受けて住民を殺害した罪でフセインらを起訴。05年10月にイラク高等法廷で1審が始まり、06年11月5日、死刑判決が下された。続く上訴審が12月26日に1審判決を支持、死刑が確定した。
AP通信によると、イラクのルバイエ国家安全保障担当顧問は30日、死刑の際のサダム・フセイン元大統領(69)の様子について、すべてを委ねた様子で抵抗することなく刑に臨んだ、と述べた。
これは、国営テレビのイラキーヤに語ったもので、元大統領は、手錠をかけられたまま、死刑執行室に到着。判事が判決文を読み上げた。元大統領は、何も求めなかったが、イスラム教の聖典コーランを持っていたという。元大統領が、執行室に立った時点から、写真撮影とビデオ撮影が始まったようだ。
ルバイエ顧問は、「サダムの死刑は、イラクが100%執行したもので、米国側が干渉することはなかった」と述べた。
また、死刑に立ち会ったマリキ首相の政治顧問アスカリ氏によると、元大統領は、死刑執行のため、米軍の敷地内にある収容所から出される際、もがく様子も見られたが、最期の瞬間は落ち着いていたという。元大統領は、刑に臨む際、囚人服ではなく、ジャケットにズボン、帽子、靴を履いていた。色はすべて黒だったという。
死刑直前、元大統領は、帽子を脱がされ、最後に何か言うことはないか、と問われたが、「何も言いたくはない」と述べたという。しかし、元大統領は、首にロープを巻かれる前に、「神は偉大なり。この国家は勝利するだろう。パレスチナはアラブのものだ」などと叫んだという。
アスカリ氏によると、イラク政府は、元大統領の遺体をどうするのかについてはまだ決めていないとしている。
【カイロ30日時事】イラク中部のイスラム教シーア派の宗教都市クーファの市場で30日、自動車爆弾が爆発、ロイター通信によると30人が死亡、45人が負傷した。
爆発があった市場は、イスラム教の犠牲祭を前に買い物する人々で混雑していた。
クーファは、シーア派強硬指導者ムクタダ・サドル師派の拠点の1つ。爆発はフセイン元イラク大統領の死刑が執行されてから数時間後に発生しており、これに反発した元大統領を支持するスンニ派武装勢力による犯行の可能性がある。